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ACT4~後編
「遅いッ!」 ただ1人、浜辺に残って待ち続ける格好になったコーティカルテが、憤りもあらわにそう吐き捨てると、周りですでに準備を終わらせて待機していた神曲楽士数人がビクッと肩を震わせた。集まった神曲楽士は、浜辺を運営している会社と契約して、たまたま今日浜辺に来て仕事をしていた全員である。ある意味、運が悪いと言わざるをえない彼らであったが、しかし同時に、神曲楽士としては貴重で幸運な場面にいるといえた。 コーティカルテ・アパ・ラグランジェス。 少なくとも、上級精霊を遥かに上回る存在と出会えることは、神曲楽士でなくとも貴重なことなのである。ただし、その対象の怒りのボルテージはすでに限界値を超えているらしく、その意味ではやはりこの場にいる神曲楽士は不運としか言いようがなかったのだが。 「遅いッ!」 そしてまた、先程から数分も経っていないのにもかかわらず、同じ台詞を、少しだけ怒りを上乗せさせた声でコーティカルテは吐き捨てたのであった。しかし、実際のところ、双子がフォロンを追いかけて浜辺を去ってから、まだ10分かそこらしか経っていないのである。たかが10分、されど10分。双子たちがフォロンを捕まえて戻ってくるには圧倒的に時間が足りないし、そうはいっても原油を積んだタンカーは刻一刻とその巨大な姿を誇示するかのように迫ってきているのであった。この光景を見れば、コーティカルテでなくても焦りたくなるというものである。 そして、ついに双子は戻ることなく、フォロンもいない状態でタイムリミットを迎えたのである。 すでにタンカーは、遊泳禁止ラインとなっている場所の手前にまで迫っていた。一切速度を落とすことなく近付いてくるそれは、間近になって一層の迫力を見る者に与えていた。まだ遠くにその姿が見えたときと比べて、タンカーが近付いてくる速度は圧倒的に速く思える。実際、今のタンカーのスピードなら、浜辺に到達するのに数分と掛からないであろう。もはや、フォロンの到着を待つ余裕はなく、タンカーを止めなければならない状況であった。 「仕方ない……か」 溜息一つ、コーティカルテは作戦を開始すべく行動を開始した。 「では、予定通りに……準備はいいな!」 コーティカルテが確認するように振り返れば、すでに単身楽団を展開していた神曲楽士数名が、頷いて肯定の意を返す。それを受けて、コーティカルテは不敵な笑みを浮かべると、颯爽と身を翻して海へと向かっていった。そうして海へと向かった足は、だがしかし、海の中にはない。なぜなら、コーティカルテの足は空を捉え、宙を走っていたからである。まるで物理法則を無視したその動きは、精霊ならば当然のことである。そして、やや遅れて神曲が響き始め、コーティカルテに続くように数柱の精霊が現われ、同じように宙を走っていく。 「段取りは分かっているな!」 タンカーを止めるために、それを浜辺近くでやろうとするのは無謀である。なぜなら、タンカーの質量が大きすぎるからである。たとえ精霊という存在が、物理法則を無視し、人間とは比べられない力を持っていたとしても、出来ることに限界はあるのである。もちろん、コーティカルテのような上級精霊ともなれば、その限界は遥か彼方といえなくもない。ただ、今のコーティカルテには、フォロンの奏でる神曲の支援はない。そして、神曲による支援が得られなければ、コーティカルテはその力の数パーセントしか発揮できないのであった。 それが神曲であり、それが精霊契約をしたということなのである。 フォロンがこの場にいて、神曲を奏でることができていれば、また別の方法を取れたかもしれない。それでも、タンカーが浜辺に近ければ近いほど色々と問題が発生してしまうため、やはり、浜辺から離れざるを得ないのだが。 浜辺からの見ると、あっという間に点になりつつある精霊たちは、もうタンカーの射程圏内に突入しつつあった。それはつまり、タンカーに占拠している精霊からの攻撃を意味する。 「――――来るぞっ!」 そう言ってコーティカルテが体を僅かに横にずらす。その次の瞬間、先程までコーティカルテがいた射線上が爆ぜる。激しく水飛沫が上がるが、すでにコーティカルテは前へと歩を進めている。 ――精霊雷である。 精霊雷とは、精霊が使うことのできる高エネルギーの総称である。これまでの研究により、精霊は人のように肉体という器を持たない代わりに、いわば精神エネルギー体というべき存在だということが分かっていた。このことにより、普通は精霊が人の目に触れるということはないのである。しかし、主に中級以上の精霊になると、そのエネルギーを物質化することで人が触れることが出来る存在に自らを変えることが出来るのである。下級精霊はその持つエネルギーが低く、安定性に欠けるため普段実体化することはないが、神曲による援護があればそれも可能となる。ともかく、精霊は自らの存在そのものであるエネルギーを、まるで雷のように発生させて使うことができるのである。当然のことだが、補給することなくエネルギーを消費すればエネルギーはいずれ尽きることになる。それは即ち、精霊にとっての死――消滅という結果になる。 「あア、アアあ、あぁアアアアーーーーっっ!」 タンカーに近付いたことで、そこを占拠している精霊が上げる雄叫びが、コーティカルテの耳にも届くようになっていた。その間にも、無数の精霊雷がコーティカルテを始めとする精霊たちに向かって放たれていた。しかし、その照準はほとんど出鱈目で、コーティカルテらは避けることなくタンカーに近付くことが出来た。ここまでは、ほぼ当初の作戦通りになっていた。 「……やはり、遠いか」 僅か一瞬だけ背後を盗み見たコーティカルテは、浜辺までの距離を見てそう呟く。それは作戦の支障になることではなかったのだが、しかし、コーティカルテの表情は少しだけ苦々しげになる。 「では、行くぞ!」 そして、そんな迷いを振り切るようにして、コーティカルテは目前にそびえる巨大なタンカーに向かって再び跳躍した。すると、コーティカルテと漆黒のボディーのタンカーは目と鼻の先に迫ることになる。また、近付いたことで照準が合ったのか、コーティカルテに向かって精霊雷が放たれた。 「は――っ!」 しかし、コーティカルテの気合の声と同時に手刀が放たれ、それは軌道を逸れて海面へと激突した。たちまち激しい水飛沫が上がる。そして、コーティカルテがニヤリと笑みを浮かべるその視線の先、そこに1柱の精霊がいた。我を見失い、自らの肉体を削りながらも暴れる、今のタンカーの主であった。 「悪いが――止めるぞ」 そう言って、コーティカルテはタンカーの前に手を突き出すと、それを止めるために力を発生させる。それは、直接止めるには相手が大きすぎるための方法である。そして、コーティカルテの形成した力場にタンカーは突っ込み、そのまま速度を落とし始める。 しかし、そのまますんなり物事が運ぶはずもなく。コーティカルテの声が暴走している精霊の耳に届いたのかは定かではないが、暴走している精霊はその瞬間、コーティカルテを確かな敵と認識したようであった。 「ァアっ、ああぁアあぁァっ!!」 次の瞬間には、ただ闇雲に精霊雷が放たれていた。しかも、その数が半端ではないため、すべてとはいわなくとも半分近くはコーティカルテを直撃するコースであった。もちろん、普段のコーティカルテであれば、それぐらい難なく切り抜けたのかもしれない。しかし、タンカーを止めるべく力を使っている今のコーティカルテに、その精霊雷に対処できるほど余裕はなかった。 いや、方法はあった。現在発生させている力を防御に回せば、防ぐことは可能であっただろう。しかし、コーティカルテにその方法をとることはできない。なぜなら、一度そうやって防いでしまえば、暴走する精霊はそれこそ力尽きるまでコーティカルテを攻撃し続けることになるからである。そんなことになれば、タンカーのスピードは当然落ちることはない。そして最悪、浜辺にまで到達する可能性だって決して低くはなかったからである。 つまり、タンカーを止めることが必須条件である以上、コーティカルテはタンカーを止めるために力を使い続けなければならないのだ。そして、そのために他の精霊を連れてきたのである。 閃光、閃光、爆発、そして噴煙が上がり、外れた精霊雷が海面を激しく波立たせる中、コーティカルテは無傷の体勢でタンカーを止めようとしていた。これは別に、暴走する精霊の精霊雷の威力が弱いわけでも、コーティカルテの防御力が高かったわけでもない。コーティカルテが無傷で済んだのは、彼女を守るように複数の精霊が立ち塞がっていたからである。 コーティカルテがタンカーを止めている間、彼女の身を守ること。 それが、コーティカルテと一緒に浜辺を飛び立った精霊に与えられた役目であった。そして、精霊雷を弾かれた暴走する精霊は、コーティカルテを守るように現われた精霊たちに敵意を剥き出しにし、再び烈火のような精霊雷の雨を降らせる。 「ぬ――!? 加減が……」 その嵐の中にあって、コーティカルテは神経を集中させていた。そうしなければ、目の前に形成されている力場はコントロールを失い、確実にタンカーを破壊してしまうと分かっていたからである。元々、コーティカルテはこういった細かい作業が得意なタイプではない、しかしタンカーを短時間で止めるためにはコーティカルテのその強大な力が不可欠であった。ただし、その強大過ぎる力は、当然ながら細かい調節などを期待することはできない。たとえば、ちょっと集中を途切れさせてしまっただけでも、タンカーを破壊することだってコーティカルテの力なら可能であったのだ。 精霊たちに守られながら、コーティカルテは強すぎず、かといって弱くならないように力場を調節しながらタンカーのスピードを徐々に落とし始めていた。 「おぉ――!」 その様子を浜辺で見ていた神曲楽士たちは、タンカーの速度が目に見えて遅くなったのを見て、歓声を上げた。しかし、歓声を上げつつも、彼らが奏でる神曲の演奏は止まることはない。なぜなら、その神曲が彼らの使役している精霊の力となり、引いてはタンカーを止めようとしているコーティカルテを守る力となっているからである。 ただ、そこに油断や慢心がなかったとは決して言えない。なぜなら、ここまではコーティカルテが事前に立てた作戦通りの展開になっていたからであり、それはつまり、無事にタンカーを止められるということであったからである。そこに、安心が生まれたとしても、不思議ではない。しかし、その微妙な変化は、奏でられる神曲にも僅かな影響を与えていた。その僅かな影響は、だがしかし、次第に大きな歪みとなって海の向こうの精霊へと伝わってしまうものである。 そして、それは当然のように結果として現われる。 それまで、単に精霊雷を打ち続けるだけだった暴走する精霊が、それを止めて跳躍する。その跳躍する先には、1柱の精霊がコーティカルテを守るように佇んでいる。が、その突然のことに、その精霊はなす術を持たない。本来なら指示を与えてくれるはずの神曲楽士は、離れた浜辺で演奏をしている。それも、どこか気の抜けるような演奏をである。 「ウアぁああアーーーーーッッ!」 暴走する精霊は、その拳をもって一撃を精霊に与える。それは、精霊雷による攻撃が無意味であると悟ったゆえの短絡的な行動であったが、この場合それを暴走する精霊にとって有利に働いた。暴走してるため、消耗し続けている精霊とはいえ、しかしその位は4枚羽――つまり中級精霊――であった。対して、コーティカルテを守るように展開している精霊たちは全てが下級精霊であり、単純に1対1の実力差で言えば、暴走する精霊の方が勝っていたのである。もちろん、神曲による援護があるため、下級の精霊でも、援護のない中級と対等以上の勝負ができないことはない。だが、先程の神曲楽士の気の緩みが、今この場における支配権を暴走する精霊の方に与えてしまっていた。 そして、直撃を喰らった精霊は、あっけなくその身を海中に沈めることになる。そうすれば、コーティカルテを守るように展開されていた布陣に穴が生まれることになる。神曲による援護と集合体による防御をすることで、暴走する精霊の攻撃を防いでいた精霊たちの間に動揺が走る。 しかし、その動揺が浜辺に伝わることはない。 無理もない。かなり近付いてきてるとはいえ、かなりの距離があるのである。肉眼で米粒よりもやや大きいぐらいにしか見えないその姿を、正確に捉えるだけでも難しいのに、その上その詳細を把握しようとするのは不可能といっていい。だからこそ、浜辺で神曲を奏で続ける神曲楽士は、海上で何が起きているのかまったく分かっていなかったし、まだ事態が好転しているものと思っていたのであった。 「くぅ……神曲、が」 目の前に展開する力場の調整に全力を傾けながらも、その本能的な部分でコーティカルテは神曲の変化を感じていた。しかし、それは仕方のないことである。コーティカルテも、そのことはある程度予想できていたことであった。が、自分を守ってくれていた1柱の精霊が海に叩き込まれたことまでは、さすがに予想できなかった。これまで防衛線を作っていたその一角が崩れたことで、そこから暴走する精霊はコーティカルテを攻撃しようと精霊雷を放つ。しかし、無防備なコーティカルテに精霊雷が突き刺さる前に、体勢を立て直そうとした精霊の1柱が立ち塞がりそれを弾く。弾かれた精霊雷は、綺麗な尾を引きながら海中へと突き刺さり、派手な水飛沫が上がる。その次の瞬間、暴走する精霊はその精霊の真横にまで移動しており、渾身の一撃を放つ。そうして、そのままコーティカルテを守った精霊は海の中へと消えていく。 コーティカルテを守る精霊はあと2柱。 「――散れッ!!」 コーティカルテは即座にそう判断し、そして叫ぶ。それだけで、2柱の精霊はコーティカルテを守る布陣を崩して、自由に動き回る。当然のように、コーティカルテは完全な無防備となり、暴走する精霊は好機とばかりに精霊雷を放とうとした。そして、コーティカルテに向かって放とうとするその瞬間、暴走する精霊は突然体が引っ張られる衝撃を受ける。そのまま精霊雷は放たれるが、照準がズレたその攻撃はコーティカルテに当たることなく、空へと消えていく。弾かれたように下を見た暴走する精霊は、今度は上からの衝撃を受けてそのまま体を半回転させてしまう。そうして、上下が逆になった状態で上を見上げるような格好となった暴走する精霊は、そこに1柱の精霊がいるのをはっきりと捉えた。捉えて、目障りな蝿を落とすぐらいの動作で精霊雷を放とうとするが、さらに背後からの衝撃を受けて、それをすることは叶わない。 「あア、アアぁあア!!」 暴走してるがゆえに状況の正確な把握ができていない精霊の弱点を突くような動きで、2柱の精霊は暴走する精霊の注意を引くことに成功していた。それが僅かな時間稼ぎであったとしても、コーティカルテはその僅かな時間を欲した。なぜなら、今このタンカーを止めようとするなら、タンカーに直接乗り込んでエンジンを停止する必要があったからである。そのためには、暴走する精霊を完全に抑えることが必須となる。そうしなければ、タンカーに直接の被害が出る可能性があるからである。だからこそ、これまで精霊たちは攻撃することを避け、防御を優先してきたのである。しかし、そのハンデは相手に有利に働くだけで、コーティカルテたちには一切味方しない。 コーティカルテは、まずタンカーの速度を事実上0にすることを目的としていた。 そして、その目的はもう少しで達成できるところまできていた。多少の蛇行をしつつも、タンカーはその巨体を進めることが叶わない。ある程度速度が落ちてしまえば、あとはコーティカルテが押さえつけるだけだったからだ。もちろん、エンジンは停止していないため、それは見かけ上のことに過ぎない。だが、一度停止してしまえば、再び加速するには時間が掛かるものである。つまり、いくつかの誤算はあったものの、コーティカルテたちの思惑通りに事は進んでいたといえる。 が、それもここまでであった。暴走する精霊の注意を引き付けていた2柱の精霊は、その奮闘虚しく、1柱は海の中へ、もう1柱は精霊雷の直撃を受けて、戦線を離脱してしまう。そして、当然のようにその場に残ったコーティカルテを邪魔者と認識すると、暴走する精霊は容赦なく攻撃を開始したのであった。 「くぅっ……致し方あるまい」 コーティカルテは、これまでタンカーを押さえつけていた力場をいったん消滅させると、今度は自分に向かって放たれていた精霊雷を打ち消すように力場を再展開する。次の瞬間、コーティカルテの展開した力場に精霊雷が衝突し、大爆発を起こす。もうもうと煙が上がり、一瞬にして強烈な風が発生するが、コーティカルテはもちろんタンカーにも傷がついた様子は一切ない。 しかし、押さえつけるものを失ったタンカーは、再び浜辺を目指して加速する。 それと同時に、浜辺で演奏を続けていた神曲楽士にも、ようやく危機感が伝わることとなる。だが、そのときすでに彼らの契約精霊は戦闘不能状態にあり、どうすることもできない状況に陥っていた。 そして、暴走する精霊は、ただ目の前の邪魔者を排除するように精霊雷を打ち続ける。そこには戦い方といったものは一切存在しない。ただ、精霊の気の赴くままに攻撃が繰り出されていた。 「やっかいな……!」 そう言って、コーティカルテは闇雲に放たれる精霊雷と防ぐための力場を展開する。普通なら、こんな面倒なことをする必要はない。ただ、己に襲い掛かるのだけを弾けばよかったのである。しかし、今のコーティカルテは、タンカーを背にしていたのである。その大きさだけでいうなら、コーティカルテなど豆粒程度の大きさしかないのである。つまり、コーティカルテに命中しない精霊雷は、すべてその黒塗りの巨体に吸い込まれてしまうわけである。結果、コーティカルテは、その背に抱える荷物の防ぐだけの力場を展開せねばならなくなっていた。 「コーティ!」 だが、そんな状況に光明が射したのはその時だった。コーティカルテの専属楽士であるフォロンが、ペルセルテを伴って浜辺に到着したのである。いや、この場合であれは、ペルセルテに連れられて、といったほうが正しいのかもしれない。何故なら、フォロンはペルセルテの運転するバイクの後部座席に座っていたからである。ペルセルテの運転技術は、フォロンのそれより上であり、浜辺に到着したバイクは唸りをあげながらも、綺麗に停止した。 フォロン専用のバイクである、ハーメルンのすぐ傍に。 飛び降りるようにフォロンは自分の愛機であるハーメルンに乗り込むと、そのまますぐにハーメルンを演奏用に展開させる。 「急げ――!」 距離があり届くはずのない声が、しかし、確かにフォロンには聞こえた気がした。いつものように、否――いつもより早く、ハーメルンの展開を終えると、その最初の1音を叩きつけるように弾き出す。 ポーン、と甲高い音が響いたかと思うと、すぐさま次の音が紡がれ始める。それはすぐに音の洪水となり、遥か彼方で戦う彼女へと届くべく波となる。 「――――待ちわびたッッ!!」 コーティカルテにその音色が届くと同時に、その体が真紅の本流に飲み込まれる。しかし、次の瞬間には、何事もなかったかのような姿で彼女はいた。彼女――コーティカルテ・アパ・ラグランジェス、という1柱の精霊が、その本来の姿を取り戻していたのだ。大人の体、妖艶な服装、そして圧倒的な存在感。そこに、コーティカルテが存在していた。 それだけで―――― 「ア、ああアアアぁァあ!!?」 目を見開き、口を大きく歪ませ、暴走する精霊は怯んだのである。暴走していたとしても、いや、暴走していたからこそ彼女は本能に忠実に従った。つまり、 この女は危険であると。 当然、あれほど激しかった攻撃はすでに止んでおり、コーティカルテは手持無沙汰になってしまう。相手に攻撃しようとする意志がなければ、もはや暴走する精霊はコーティカルテの眼中には入らない。あるのは、このタンカーを止めるだけということである。 「お前は……」 が、目の前の精霊が、そう簡単にタンカーを止めさせてくれるかが問題であった。だからこそ、コーティカルテはその精霊に語りかける。暴走している状態の精霊に向かって。 「お前は、何故タンカーを動かしていたのだ?」 ビクッ、と精霊の肩が震える。それはまるで、悪戯を見つかった子供のような反応である。こういうと、コーティカルテは母親的な立場になるのだが、実際それは大筋のところ間違っていない。 「ワタシ、ハ――」 「――いつまで、そうやってるつもりだ?」 「――――ッッ!!?」 カタコトながら何かを伝えようとする精霊を、コーティカルテが一蹴する。そうしてから、考えるのは面倒とばかりに妖しげな笑みを浮かべる。 「まぁ、私にはどうでもいいことだ。――――止めるぞ、いいな?」 疑問系でありつつ、その言葉には一切の反論を許さない。それでも、暴走する精霊は、腕を伸ばしかけて、いったん止めて、けれど何かを決意したかのように再び手を伸ばす。 「駄目、です……っ!!」 今度は、流暢に。 「私は、私は――あの人の無念を晴らすために、あれを止められるわけにはいかないのです!!」 「……どうしてもか?」 コーティカルテが語りかける。今度は優しげに。しかし、その言葉を受け取る表情に宿るのは喜悦の感情。 「もう、私に自我は必要ない」 「なら――もう、何も言うまい」 そう言ってコーティカルテが拳を握り締めるのと、暴走する精霊が雄叫びを上げるのは同時。そしてその直後、弾かれたように2柱の精霊は激突する。 「悪いが、手加減はできんぞ!」 「ああアァ、アアあーーーーッッ!!」 暴走する精霊が連続して繰り出す攻撃を、コーティカルテは軽くいなす。暴走する精霊は2対、対するコーティカルテは3対の羽を展開している。そこにある差は、ちょっとやそっとでは埋まることのない差である。中級と上級では、もはや精霊としての格が違うのである。それこそ、コーティカルテにしてみれば、相手は赤子同然である。否、赤子以下といっても間違いではない。 状況から考えるに、コーティカルテが負けるという可能性は、間違いなく0であった。 ただし、それは両者が殺し合いをしていた場合の話である。そして、コーティカルテは別に相手の精霊を倒すことが目的というわけではなかったのだ。そこには手加減であったり、必要以上に傷つけない配慮が行われていた。対して、相手の暴走する精霊の目的は単純である。邪魔するものは排除する、ただそれだけであった。だからこそ、手加減など必要なかったのである。 そこに、両者の間にあった差を埋めるだけの鍵があった。 実際、実力差だけを考えれば、決着などすぐついていたはずであろう。しかし、本気になったコーティカルテを相手に、暴走する精霊は十分過ぎる健闘を見せていた。傍目から見れば、互角のように見えたかもしれない。 「ウアあぁあアーーーーっっ!!」 コーティカルテに向かって、いくつもの精霊雷が散弾のように撃ち込まれる。が、しかし、それはコーティカルテに直撃する手前で、爆発を起こす。精霊雷を防御壁のように展開し、すべて受け止めてていたからである。そして、お返しとばかりに、2発の精霊雷を暴走する精霊に向かって撃ち出す。 「――――ハッ!」 それは、1つは暴走する精霊が撃ち出した精霊雷と相殺され、 「ガぁ……っ!?」 もう1つが、暴走する精霊の右肩に命中する。だが、体勢を崩されたのにもかかわらず、暴走する精霊は止まることを知らない。無理な体勢から精霊雷を撃ち出し、――同時に、自身もコーティカルテに向かって飛び出す。 「……ぬぅっ!?」 コーティカルテは呻きつつ、それでも再び防御壁を展開する。撃ち出された精霊雷はコーティカルテに届くことなく、すべて爆発して散る。その直後、 「う、アあああァ、あぁアア、あ――――ッッ!!!」 凄まじい衝撃音を響かせて、暴走する精霊がコーティカルテの展開する防御壁に突っ込んできていた。 「……愚か、な」 コーティカルテは伏目がちに、目の前に佇む精霊を見る。相対しているコーティカルテは、このままでは相手の精霊がそう長くないことを感じ取っていた。神曲の支援なく力をばら撒き続ければ、精神体というべき力で構成された精霊は、やがて枯れてしまう。それは即ち、精霊の死である。 それが、今まさにコーティカルテの目の前で起こっている現象であった。 コーティカルテが少し力加減を間違えれば、それだけで目の前の暴走する精霊は消滅してしまう。その可能性は、決して低くないのである。 「ガァあ、アアあァ、アアあぁあア――――っ!!!」 そんなコーティカルテの気配りを知るはずもなく、暴走する精霊はコーティカルテの展開する防御壁へ突っ込み続ける。どうやら、精霊雷を拳の一点に集中して、突破しようという心づもりらしい。 「やめろっ、そのままでは本当に――――っ!!?」 そう。コーティカルテの言うように、暴走する精霊の行動はまったく無意味といってよかった。実力差を考えれば当然であったし、まして相手は消耗し続けている相手である。 が、その言葉を言い終わるより早く、コーティカルテの目が驚愕に見開かれる。 続けて光、ヒカリ、ひかり。爆音と衝撃波。遅れて、波がうねった。 「コーティっ!!?」 単身楽団による演奏を続けながらも、フォロンも目の前で起こった出来事に驚きを隠せなかった。それはペルセルテやプリネシカも同様だったらしく、口を大きく空けて驚いていた。 やがて煙が晴れ、その中心の様子が明らかになる。そこにはコーティカルテと、脱力したように両腕を下げた1柱の精霊の姿がある。 「――――ッッ!?」 その姿を見た瞬間、フォロンは言いようのない違和感に包まれていた。パッと見た目では、特に何も変化はないように見える。少なくとも、この場にいたフォロン以外の誰もがコーティカルテの無事な姿を見て胸を撫で下ろしていた。 (……何だ?) 神曲の演奏を続けながら、フォロンは遠くに佇む自身の契約精霊の姿をじっと見つめる。 (何だ、この違和感は!?) しかし、見れば見るほど、コーティカルテの様子におかしな点は見当たらない。が、そう思えば思うほど、本能的な部分が異常を知らせてくる。 単なる思い過ごし――などではない。 「フォロン……」 遠く離れた海上で、コーティカルテもまたフォロンの様子が変わったことに気付いていた。フォロンの奏でる神曲に僅かばかりの雑音――といっても、それが分かるのはコーティカルテだからこそであるが――が混じったのが、コーティカルテの耳に届いたからである。その雑音はすでに修正されてはいるものの、フォロンの動揺がそのまま伝わってきたことに、コーティカルテに思わず笑みが浮かぶ。 「心配するな――と言いたいところだが、な」 本当なら、すぐにでもフォロンの傍にまで飛んで行って抱きしめてやりたい衝動に駆られたものの、コーティカルテはすんでのところでそれを我慢した。なぜなら、フォロンの演奏はまだ止まっていないからであり、それがフォロンの望むことではないとコーティカルテは知っているからである。 そして、 「ガゥアあァああアアア――――!!」 コーティカルテに向かって振り下ろされた拳を、体を捻って避ける。 「こっちも、止まってはくれないみたいだしな!」 続けて打ち出される二撃目を、コーティカルテはむんずと掴み、その勢いを利用して投げ飛ばす。が、投げ飛ばされた精霊は、空中で方向転換をして再びコーティカルテに躍りかかる。 「もはや、精霊雷を撃ち出す余裕もないか」 「ゥがああアアァアああアア――――ッッ!」 今度は真正面から、コーティカルテと暴走する精霊の拳が激突する。その瞬間、爆発的な衝撃波が起こり、続けて大気が振動する。遠く離れたフォロンたちのところまで、その余波は届くほどであった。しかし、驚くべきことはそのことではない。 「な……っっ!?」 フォロンの表情は、まるで信じられないものを見たかのような変化を遂げる。 なぜなら、2柱の精霊の衝突の瞬間、コーティカルテの姿が普段の姿に戻ってしまったからである。その姿は、コーティカルテが身体を安定させるためにとっている姿である。 それが意味することは、つまりコーティカルテの身体が大人の姿を保てなくなったということである。 「な、んで……?」 が、それも僅かなことで、衝撃波が治まる頃にはすでにコーティカルテの姿は大人なそれに戻っていた。そのことが、さらにフォロンの思考を混乱させる。 「ね、ねぇ、プリネ?」 「うん……今、コーティカルテさんが」 そのことにはペルセルテとプリネシカの双子も気付いたようで、心配そうに遠くの紅い精霊と傍の神曲楽士を見つめる。けれど、気付くことはできても、何も手伝うことができない。それが、ペルセルテにとって歯痒いことであり、プリネシカにとって心を痛めることであった。 (~~~~~~~~~~っっ!!?) 原因も分からず、フォロンはひたすらに演奏を続けることしかできない。加えて、フォロンの頭の中ではいつまでも先程からの違和感がぐるぐると渦巻いていた。 その一方でコーティカルテも、自身の変調には気付いていた。しかし、そこに浮かぶのは「驚き」ではなく「怒り」の表情であった。なぜ驚きではなかったのか。簡単な話である、彼女は自身の変化の原因を知っていたからに他ならない。 「フォロンのやつめ……」 そう忌々しげに呟く彼女の視線は、見抜くように浜辺で演奏を続けているフォロンに向けられていた。彼女に届けられる音は、たしかに神曲。が、それだけではない。フォロンの中に生まれた不安、疑問、そういった感情が本人の知らぬうちに神曲の中に紛れているのであった。これでは、それを聞いている身としては文句の1つも言いたくなるというものである。だが、それは2つの理由で叶わない。 1つは距離である。このフォロンとの絶対的な距離が、すぐにそれを実行できない理由となっている。しかし、距離などは埋めれば済むことではある。だが、それが叶わない状況――目の前の暴走する精霊――それが2つ目の理由であった。 「あぁアッッ!!」 コーティカルテの横を、鋭い突きが突き抜けていく。そこには、数瞬前までコーティカルテの顔があった場所である。が、今はただ空気を切り裂くだけで、その突きは役目を終えてしまう。 「ハァ――――っ!」 相手が突きを放って伸びきった体勢に、今度はコーティカルテの一発が放たれる。決して避けられるような体勢ではない、がその問題は精霊という一言で片付けられてしまう。暴走する精霊は、急激な方向転換をすることで、そのコーティカルテの一撃を薄皮一枚で避けてみせたのだ。さらに、その勢いのままに今度は裏拳を叩き込もうとしてくる。 「ぬるい――」 しかし、その攻撃を読めないほどコーティカルテは甘くはない。その拳を受け止めるように突き出された掌は、そのまま相手を掴んで放り投げる。そして、それだけでは終わらず、さらに精霊雷を追う様に撃ち出してみせる。 「ガアァ……!」 その1つの直撃を受けて、暴走する精霊は呻き声を上げる。と同時に、精霊が展開している羽が明滅を繰り返すようになる。いよいよ、精霊がその実体化が保てなくなっている――――だけでなく、その存在そのものが消えようとしていた。 「ふん……他愛もない」 そう鼻を鳴らして、コーティカルテは風前の灯となりつつある精霊を見下ろしていた。いくら届けられる神曲が万全ではないとしても、そこに上級と中級の差があるのは歴然であった。ましてや、相手には神曲もなく手負いの状態だったのだ。少なくとも、コーティカルテが本気を出せば、この戦いなどあっという間に終わっていたことだろう。 ――――暴走する精霊の消滅、という結果によって。 「まだ続けるか? それとも――」 その先を、コーティカルテは言わない。それ以上言うことは、コーティカルテにはできなかった。なぜなら、それが暴走し続ける精霊の意志であるからであり、たとえコーティカルテであってもそれを冒涜するような真似は許されるべきではなかったからだ。だから、再度尋ねたのは彼女の優しさ。けれど、そこに一切の甘さは含まれてはいない。 「コワス、コわス、ぜンブ……こわス」 ほとんど力など残ってはいないのだろう。もはや下級精霊以下といっても問題ないほどの消耗をしている精霊は、しかし、たった1つの目的だけを決して間違えない。まるで亡霊のようにブツブツと呟きながら、前進を止めることを知らない。 「コワすァ――――ッッ!!」 再び躍りかかる影。精霊雷を身に纏い、けれどその放出はまったくの出鱈目。精霊雷を収束させるだけの力はなく、次々とその制御を離れて散っていく。それに伴い、暴走する精霊の薄さが際立つようになるが、溢れ出る精霊雷、そのエネルギーが尽きることがないようにも思える。だがしかし、その存在はもはや精霊と呼べるものだったのだろうか。あるいは、それは精霊の最後の灯火のようなものだったのかもしれない。 そして―――― 「ガぁアゥあ……ッ!?」 その終わりは唐突に、あまりにあっけなく訪れる。放たれた精霊雷は、まるで空に消える虹のように輝き、そして散っていく。すでに、自らを留めておけなくなった時点で、この精霊の末路はほぼ決まっていたのである。消滅、崩壊、霧散、いろいろ表現することはできようが、その結果は「零」である。 「残念だが……」 コーティカルテが、そう言って目を伏せる。覚悟がなかったわけではない、むしろそうなる結末は予想していた。ただ、それでもコーティカルテは、この終わりを望んではいなかったのである。 「コーティ……」 遠く離れた浜辺で、フォロンもまた事の終わりを見届けていた。周りでは、職員たちが勝ったという事実に安堵し、喜び合うという光景が繰り広げられていた。しかしフォロンにはそれが素直に喜べない。もちろん、フォロンには、海の向こうでどんなことがあったのか正確に知っているわけではない。だが、たとえ知らなくても、フォロンに胸に沸き起こるこの感情だけは、無視できるものではなかったのだ。 決して自惚れているわけではない。それでも、自分がベストを尽くせたのかどうかの自問自答を繰り返すフォロンであった。 そこに――――。 ふと、フォロンは顔を上げる。そして何かを探すように視線を彷徨わせる。一見すれば、その行動は不思議なものに見えたかもしれない。だが、フォロンの感覚が確実に何かを告げていたのだ。フォロンは、その正体を確かめるため、全身の感覚を研ぎ澄ませてその原因を探索する。 何かが、 この歓声に満ちた浜辺に紛れて、 この大海原の音に紛れて、 否、 紛れて、ではない。それはまるで全ての音の背後に隠れるように、けれど、その存在は絶対に。それはなくてはならないものとしてそこにあったのだ――!! 何時から? ずっと前から? それともほんの一瞬前か? それすら惑わすほど、その旋律は周囲に溶け込みすぎていたのだ。 神曲――――! 奏でられるそれは、フォロンが一瞬でそれと分かる神曲であった。そして、その神曲が奏でる魂の形、想いの形、紡がれるメロディーはフォロンの目を一気に覚まさせた。 「コーティ――ッッ!!」 叫ぶや否や、フォロンは再び鍵盤へと指を走らせる。と、同時に、コーティカルテの周囲が眩しく輝きを増し始める。それはあっという間に光の本流となり、次の瞬間に閃光と爆発を起こす。 波がうねる。舞い上がった水飛沫は、残光にキラキラと反射して幻想的な風景を描き出す。そして、そこには彼女がいた。 ほんの少し前に、その存在を散らせたと思っていた彼女が。 あれほどまでに衰弱していた彼女が。 まるで本来の力を取り戻したかのような輝きを、それ以上の存在感を発する4枚羽を伴って。 PR |
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