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ACT1
社会人と学生の違いは様々あるが、たとえばそう、夏期休暇に関しても大きな違いがあるといえるだろう。学生の休暇期間は、2ヶ月弱が相場であるのに対し、社会人にはお盆の時期の1週間がせいぜいであるからだ。事実、ツゲ神曲楽士派遣事務所で働くタタラ・フォロンにとって、今年の夏にもらえた休みはたったの4日であった。もともと、神曲楽士という仕事の性質上、1年365日、何らかの仕事はあるものである。ただ、雇用契約として最低限の労働環境を保障する以上、当然の権利としてフォロンにも休みが与えられたに過ぎないのであった。つまり、フォロンが夏期休暇を満喫している間もツゲ神曲楽士派遣事務所では、所長のユフィンリーと、学生時代からの友人であり同僚のレンバルトは、いつもより1人少ない状況で仕事をしているはずであった。そのことに対して、一応は申し訳ないという気持ちを持つフォロンではあったが、久しぶりのまとまった休みを有意義に過ごせると喜んでもいた。いつもなら起きているはずの時間を、ゆっくりとした眠りで過ごせると―――― 「フォロン、朝だぞっ」 ――――思っていたのだった。 「むごっっ!!?」 ただ、そんなフォロンの願いは、少女の声と、直後の衝撃によって脆くも崩れ去ることになったのだが。 「……コーティ」 「朝食の時間だぞ、フォロン」 フォロンが薄く目を開けると、やはりそこには想像通りの光景が広がっていた。流れるように波打つ紅の髪は何度見ても美しく、彼女自身を穢れない高潔さで包み込んでいる。ただ、いつものことながら、フォロンの腹の上に跨って佇むその姿は、傍から見れば少しばかり卑猥な印象を与えてしまうのだが、そんなことを気にする彼女ではない。コーティと呼ばれた少女は、フォロンの腹の上にダイブすることで、文字通り彼を叩き起こしたのであった。 「今日は休みなんだから、もう少し……」 「駄目だ。今すぐだ」 フォロンは、駄目だと知りつつ一縷の望みを込めて聞こうとするが、それは全て言い終わることなく、一言で切り捨てられた。しかし、フォロンにとっては――望まない結果であったとしても――十分予想していた展開であった。フォロンは、未だ腹の上で自分を見下ろす少女に対して、お決まりの台詞を言うだけである。 「分かった。起きるから、コーティどいてくれる?」 「うむ」 少女は満足そうに頷くと、まるで羽でも生えているかのような軽やかさでフワっと宙を舞った。そして、そのままほとんど音を立てることなく、フォロンのベッド脇へと着地をする。もしここに審査員がいれば、間違いなく高得点の羅列を拝むことができるのだろう。そんな、人間離れをした演技をした少女は、事実人間ではない。 世界の創造に関しては諸説がある。ただ、真実かどうかはともかく、多くの人が共通の認識として持っていることがあり、それは、神が世界を創造したということである。精霊――人の善き隣人――は、神によって生み出され、人と同じく世界を構成する1つの要素であった。とはいっても、人と精霊は共同生活を営んでいるわけではなく、普通の場合そこに交流が生まれることはない。それは、人と精霊が交わるのは、ほとんどの場合神曲楽士を介して行われるためであり、逆に言えば、神曲楽士だけが精霊と交渉するための方法を持っているということに他ならなかった。なぜなら、精霊にとって神曲とはいわゆる糧であり、精霊はその糧を報酬とする代わりに人に力を貸すのだ。そして、神曲楽士とは、神曲を奏でることで精霊を使役――フォロンはこの表現が好きではないのだが――することができる人のことであり、毎年数名の神曲楽士しか試験に合格することができないという珍しい存在でもあった。 そして、フォロンがキッチンの方へと向かうのを見つめながら、朝食ができるのを今か今かと待っている少女――コーティカルテ・アパ・ラグランジェスは、精霊の中でも上位精霊と呼ばれる存在であり、フォロンと精霊契約を結んだ存在であった。 「タマゴサンド、だよね?」 「うむ」 もはや慣れた手つきで卵を割り、毎朝毎朝、それこそ例外なく作り続けているタマゴサンドを、今朝もフォロンは作る。そして、椅子に腰掛けたままの体勢で、コーティカルテは都合25回の「できたか?」を繰り返し、フォロンはその度に「まだだよ」と答えたのだった。 そんな、いつもの朝の始まりだった。 ツゲ・ユフィンリーは、ツゲ神曲楽士派遣事務所の所長である。トルバス神曲学院時代から神曲楽士として活躍してきた彼女は、すでに自分の事務所を持つまでになっており、その存在は業界内でも有名なものになっていた。学院時代から天才と呼ばれた彼女の実力は本物であり、事務所の営業スタイルと相まって世間の認知度はかなり高い。そんな事務所は、所長のユフィンリー、社員のレンバルト、フォロン、営業担当のユフィンリーの兄、アルバイトのユギリ姉妹で現在のところやっているのだった。 「……それでは、失礼します」 ユフィンリーは、受話器を置くと軽く溜息をついた。無理もない。この時期はどこの神曲楽士派遣事務所も夏期休暇で休む人が出て、必然的に忙しくなってしまうのだ。事実、ツゲ神曲楽士派遣事務所も、今日からはフォロンが夏期休暇である。ちなみに、昨日まではユフィンリーの兄が、そして、フォロンの後はレンバルトが休みを取ることになっていた。自身の休暇が、さらにその先になるのは仕方がないとしても、ユフィンリーは目の回るような忙しさに、思わず溜息をつきたくなったのだ。今も、仕事の依頼の電話だったのだが、滞っている仕事がある以上、すぐには出来ないという返事をすることしかできないのだった。 「しかも今日から……」 スケジュール表には、今日から4日間のフォロンの休みを示す赤丸の他に、もう1つ別の丸もついていた。それは、アルバイトで事務処理をやってもらっているユギリ姉妹の休みを示す丸であった。アルバイトである以上、彼女たちが休みたいと申請すれば、それは通さなくてはならない。たとえその理由が、フォロンと遊ぶためであったとしても。 『フォロン先輩と同じ日を休みにしてください!』 そう言って休暇の申請をしてきたユギリ姉妹の姉、ユギリ・ペルセルテのことを思い出してユフィンリーは思わず笑ってしまう。その笑みを目ざとく見つけられ、同じくデスクで仕事をしていたレンバルトが声を掛けてくる。 「どうしたんです、所長?」 「いえ。今日から双子ちゃんが休みなのよね、と思って」 それを聞いて、レンバルトも納得したように頷く。そして、ユフィンリーと同じことを思い出したのか、軽い冗談を言う。 「せめて、プリネシカだけでもいてくれればね」 ユギリ姉妹の妹、ユギリ・プリネシカも、やはり姉のペルセルテと同じく休みを取っていた。いや、正確にいうなら休みを取らされたというべきなのかもしれない。ペルセルテが休みを申し込んできたとき、当然のように彼女は妹のプリネシカの分の休みも取ったからである。そのときのプリネシカは、申し訳なさそうに、しかし半ば諦めの表情を浮かべていたことをレンバルトは覚えている。ともかく、結果として今日から4日間、ツゲ神曲楽士派遣事務所は、ユフィンリーとその兄、レンバルトの3人でやるはめになっていた。 「ま、アレは仕方ないでしょ」 「そうですね」 まぁ、ユフィンリーもレンバルトもプリネシカと同様、そのことは仕方のないことだと割り切っていた。もはや、諦めもここまでくると1種の悟りの境地のようである。 「それじゃ、出かけてくるわ」 そう言って、最後の書類を書き終えるとユフィンリーは立ち上がった。これから、神曲楽士としての仕事をするためである。ユフィンリーは車のキーを手に取ると、足早に事務所を出て行ってしまった。残されたレンバルトは、すでに出て行ってしまったユフィンリーに対して軽く返事をして、再び自分の仕事に手を伸ばしたのだった。 ユギリ・プリネシカの朝は早い。それは夏期休暇で、学院が休みとなっても変わることはない。普段であれば、プリネシカが姉のペルセルテを起こすのが日課となっており、今日もそうなるとプリネシカは思っていた。だが、その日は、いつもプリネシカが起きる時間より少し早いタイミングで、彼女は自分の肩を揺すられる感覚で目を覚ますことになったのだ。 「プリネ、プリネ、起きて」 「……ペルセ?」 自分を起こしたのがペルセルテだと認識すると、プリネシカは驚いたように彼女を見つめ返した。一応、枕元にある目覚まし時計を確認してみるが、自分が寝坊をしたわけではないらしい。それはつまり、ペルセルテが自分より早起きをしたということになる。はっきしいって、かなり珍しいことであった。プリネシカは、そんなペルセルテをじっと見つめて、今日は雨でも降るのかななんて失礼なことを思ったりした。 「ほら、もう朝ご飯できてるから」 妹がそんなことを考えているなんて露知らず、ペルセルテは朝食を作るときに身につけたままのエプロン姿でプリネシカを促した。たしかに、ここまでいい匂いが漂ってきている。プリネシカは、そんな姉の様子を不審に思いながらも、ペルセルテの言葉に従うことにした。 朝食を食べ終わってしまえば、あとは暇になってしまう。一応、洗い物やら掃除やら洗濯やらがあるわけだが、しょせんは2人暮らし、慣れた手つきであっという間に終わってしまった。しかも、今日は珍しいこともあるもので、コーティカルテが手伝うということをしたのだった。いつもなら、フォロンをただ眺めているだけのコーティカルテであったが、何故か今日は積極的にフォロンの手伝いを買って出たのだ。そのことに多少の疑問を感じつつも、しかし、深く追求することをフォロンはしなかった。なぜなら、コーティカルテがこのような珍しいことをする場合、それは間違いなくといっていいほどフォロンにお願いをするときだからだ。となれば、このまま待っていればコーティカルテの方からフォロンに話をしに来るはずである。というか、すでにコーティカルテはフォロンの前で口を開こうとしていた。 「どうしたの、コーティ?」 とりあえず、話しやすいようにフォロンから尋ねる。コーティカルテは待ってましたとばかりに、後ろに隠していた――つもりの――雑誌を広げて見せた。 「フォロン、暇だな」 「うん、休暇だしね」 コーティカルテは、当たり障りのない話題から入る。それにフォロンも上手く相槌を打つ。すると、コーティカルテはあらかじめ用意していた台詞を口にした。 「そうだ、せっかくの休暇だし何処かに遊びに行くのも良いではないか? そうだ、たとえばこことか」 そう言って、コーティカルテは広げていた雑誌の1箇所を指で指し示した。たとえば、なんて言いながらコーティカルテの目は真剣である。どうやら、コーティカルテは最初からこれが目的であったらしい。フォロンが、その雑誌を覗き込むとそこには『夏の海で恋人と忘れられない思い出を』というキャッチフレーズが踊っていた。何度も言うが、コーティカルテの目は真剣である。それはもう、獲物を狙う肉食獣のような目をしていた。つまり、最初からフォロンに決定権はなかったということである。 「……それじゃ、行こうか」 「よし、準備はできているぞ」 コーティカルテは、どこに隠していたのか大きな荷物を取り出すと、すぐにフォロンの前に立った。そのあまりの準備のよさに、フォロンは苦笑することしかできない。しかし、コーティカルテを待たせるわけにもいかず、フォロンは急いで準備を整え始めたのだった。 フォロンが準備を終えて、ようやく出発の用意が整うとコーティカルテは待ちかねたとばかりに、家を飛び出した。フォロンもその後に続……こうとして、コーティカルテが玄関先で立ち止まっていることに気づく。心なしか、両肩の辺りがプルプルと震えているようにも見える。どうしたのだろうとフォロンが声を掛けようとしたその矢先に、コーティカルテとは別の声が響いた。 「せんぱぁーい、おはようございます!」 「え、その声って……」 コーティカルテが立ち塞がるようにしてすぐには分からなかったが、しかし、小柄なコーティカルテにすべてを隠すことはできず見慣れた姿がフォロンの視界に入っていた。 「ペルセルテ!? それにプリネシカも!?」 驚きの声をあげるフォロンに、プリネシカはひょこんと頭を下げる。対して、ペルセルテは目標をロックオンするとすかさず行動に移ろうとするが、それはようやく現状を理解したコーティカルテによって阻まれることになる。 「小娘が、朝早くから何のようだ!」 「私は、先輩に用があるんですっ。コーティカルテさんはどいてくださいっ!!」 「生憎だが、フォロンはこれから私と出かけるのだ。話はそのあとにでもしろ!!!」 なんとも朝から迷惑な行為を繰り広げることに、フォロンは思わず頭を抱えたくなった。それはプリネシカも同様らしく、若干引き攣ったような笑みを浮かべている。しかし、そうしていても言い争いはヒートアップするばかりで、一向に沈静の方向へは向かわないのだ。 「ちょっと、コーティ落ち着いて」 「ほら、ペルセも」 フォロンがコーティカルテを、プリネシカがペルセルテを押さえ込む形で強制的に2人を引き離す。2人はまだ何か言い足りない様子ではあったが、しかし、フォロンとプリネシカの言うことに素直に従った。 「ふんっ、それではさっさと用とやらを済ませるがよい」 コーティカルテが一応の譲歩して、尊大な言い方でそれだけを許可する。そんなコーティカルテの態度にフォロンは相変わらず苦い顔をしていたが、ユギリ姉妹が朝から尋ねて来た理由を知りたいことに変わりはないので、2人の顔を交互に見る。 「どうしたの? 僕に用があるみたいだけど……」 「あ、はい……」 「フォロン先輩、どこかにお出かけですか?」 しかし、ペルセルテが答えようとしたのを制して、プリネシカが質問を返す。フォロンは多少面食らったものの、その質問に肯定の意を示す。 「あ、うん。コーティと海に……」 「あたしたちも行きますっ!!」 フォロンが言い終わるより早く、その意味を理解したペルセルテが叫ぶ。さすがに、そのあまりの迫力にフォロンはたじろいでしまうが、ここに物怖じすることなく反論する少女がいた。コーティカルテである。 「だーめーだー、フォロンは私と2人で行くのだ!」 「私は先輩に聞いているんです。コーティカルテさんは黙っていてくださいっ」 そう言われてペルセルテに睨まれてしまえば、フォロンはうっと返事に詰まることしかできない。そんな様子を見て、プリネシカが助け舟を出す。 「フォロン先輩、私たちもご一緒してよろしいでしょうか?」 言っていることは同じだが、プリネシカの方が丁寧な物言いのため与える印象は大分違う。それでもコーティカルテは納得するわけではなく、ぷぅと頬を膨らませて怒りの矛先をフォロンに向ける。 「フォロン、お前は私と2人で行くんだよな?」 やけに2人での部分を強調しながら、コーティカルテはフォロンに尋ねた。しかし、フォロンはそれに答えることなく2人に対して質問を投げかけた。 「2人とも、バイトは?」 「大丈夫です。今日は休みですから」 正確に言うなら、今日から休みなのだがそこに触れることはしなかった。ちなみに、フォロンとコーティカルテは、ユギリ姉妹がフォロンと合わせて休みを取ったことを知らないのである。特に、コーティカルテがそのことを知っていれば、それはもう烈火の如き怒りようで反対したに違いないからである。 「そっか、じゃあ一緒に行こうか」 「なっ、おいフォロンっ!?」 コーティカルテが抗議の声をあげるが、フォロンの方もその提案を変える気はないらしく、コーティカルテをなだめた。 「コーティ」 「う……分かった」 フォロンが言外に、我侭を言うなら海へは行かないと言っているのが分かってしまったため、コーティカルテも渋々頷くだけである。対して、一緒に行くことが許可されたペルセルテは、両手を挙げてその喜びを表現していた。 「わーい、先輩と海~♪」 「すいません、我侭言ってしまって」 さりげなくプリネシカがフォローを入れるが、フォロンは気にしないでと返すだけである。 かくして、フォロン、コーティカルテ、ペルセルテ、プリネシカの4人は海に向かうべく出発をするのだった。 閑静な住宅街の一角、一台の車が徐行していた。運転手は、地図を片手にキョロキョロと辺りを見回している。 「えーと、たしかここらへんだと……」 レンバルトである。ユフィンリーが出かけた数分後、同じく書類を片付けた彼は、依頼のあった家へと出発したのだった。そして、車を走らせること約30分、辺りの風景は事務所のそれとは大分異なるものへと変貌していた。簡単に説明するなら、事務所周辺は人通りも多く賑やかであるのに対し、この辺りは人もまばらで車なんてほとんどすれ違うことはなく、その割に道路はやけに幅広いのが特徴的だった。おまけに、見ただけで高級そうに見える家が、何軒も連なっているのだ。いわゆる、高級住宅街というやつである。商家のお坊ちゃまであるレンバルトにとっても、それはさすがに嫌味に思えるほどのゴージャス振りである。 「お、あそこかな?」 そんな中にあって、見るからに品格があると分かる家がレンバルトの目的地であった。使用人なのだろうか、門前に人が立っているのが見える。そこまで確認してレンバルトがその前に車を止めると、門が開いて使用人らしき人が近付いてきた。 「どうも、ツゲ神曲楽士派遣事務所から参りました」 近付いてきた使用人にそう告げると、使用人は恭しく頭を下げながら口を開いた。 「話は聞いております。どうぞ、車は私が移動しておきますので」 「そうですか? すいません」 レンバルトはそこで車を降りると、代わりに使用人が車に乗り込む。車はすぐに発進し、レンバルトは玄関へ向けて歩き出した。レンバルトが玄関に辿り着くと、突然扉が開いた。あまりのタイミングのよさにレンバルトが驚いていると、玄関の先から1人の婦人が現れたのだった。婦人は軽く一礼して、レンバルトを入るように促した。 「ツゲ神曲楽士派遣事務所から参りました、サイキ・レンバルトです」 「わたしは、レニー・ティーンですわ」 歩きながら自己紹介を済ませると、レンバルトはティーンに案内されて部屋の1つに通された。随分と高級そうなソファーに腰を下ろすと、向かいにティーンも座るのが見えた。そして、そのタイミングで先程とは違う使用人がティーカップとポットをお盆に載せてやってきたのだ。目の前で紅茶が注がれるのを見ながら、レンバルトは感心していた。高級住宅街の中にあって、さらにこの家は別格だったからである。使用人が部屋を出るのを見計らって、レンバルトはそのことを褒めた。 「いや、すばらしい家ですね」 「えぇ、私には勿体無いぐらいです」 その言葉を聞いて、レンバルトは謙遜かと思ったが、しかし、よくよく考えてみればそれは謙遜ではないことに気づいた。これだけの家と、あれだけの使用人を育てるのには、それだけの時間とお金がかかるはずだからである。ここからはレンバルトの推測だが、おそらくティーンの祖父か、それ以上から代々受け継いでいるのだろう。つまり、由緒正しき家系というやつである。 「さて、仕事の方に移らせてもらってよろしいでしょうか?」 本来ならばもう少し世間話をしたりするのだが、レンバルトは手早く話を切り出した。理由は2つある。1つは、今がとても忙しい状況であるということ。そして、もう1つ――こちらが重要なのだが――依頼内容が、とても深刻なものであるためである。なので、レンバルトとしても、それだけ真剣さを見せなければならないのであった。 「どうぞ」 ティーンが頷いたのを確認して、レンバルトはまず鞄から書類一式を取り出して、それを手渡す。神曲楽士として仕事をする以上、こういった手続きを無視することはできないからである。その書類にティーンが目を通し終わるのを待って、レンバルトは再び口を開く。 「それでは、まず依頼内容をもう一度お願いします」 「はい……」 そう言って沈痛の表情を浮かべるティーンは、一枚の写真を取り出してレンバルトに見せた。そこには子供っぽさを残した表情で笑う1人の男性と、その男性の寄り添うようにして微笑む1人の女性が写っていた。 「これが?」 「はい。わたしの兄――エヴァンスと、兄と精霊契約をしたセレンです」 写真に写る女性、その背には精霊だということを証明する羽が2対確認できた。 「それで、いつから?」 「本当なら、3日前には帰ってくるはずでしたが……まったく連絡が」 そこまで聞いて、レンバルトはいったん考え込む。依頼内容は、写真に写る2人の捜索であった。5日ほど前に出かけていったきり、連絡が取れなくなってしまったらしい。ただ、エヴァンスも神曲楽士であり、セレンという精霊もついていることがレンバルトを悩ませていた。甘い考えかもしれないが、それでも精霊がいる以上、余程のことがない限り2人に何かあったとは考えにくかったからだ。 「……今までに、こんなことは?」 1つ確認するように、レンバルトは質問する。 「いえ……もし何かあれば連絡は必ずありました」 「となると……」 レンバルトは、できれば当たってほしくない予想をしなければならなかった。それは即ち、2人の身に余程のことがあったということである。 「2人の行き先は?」 「おそらく海だと……」 すばやく、レンバルトは頭の中に描いた地図で海までの道を検索する。それはつまり、2人も同じようにして通ったと思われる道でもあった。 「海で間違いない?」 「えぇ。兄が出かける前日に電話で船を用意してしてくれるように頼んでいたのを聞きましたから」 それなら行き先は海で間違いないなとレンバルトは納得した。そして、手元にあった写真を掴んで立ち上がった。 「この写真はお借りしてよろしいでしょうか?」 「構いませんわ」 ティーンがそう言って立ち上がると、レンバルトは軽く一礼して言葉を継いだ。 「それでは、たしかにこの依頼お受けしました」 「よろしくお願いします」 ティーンもレンバルトと同じようにして頭を下げる。そして、ティーンと玄関前で別れると、すでに車がレンバルトを待っていた。最初に会った使用人も、その脇に立っている。レンバルトは「ご苦労様」と言ってその労をねぎらって、車に乗り込む。使用人によって開かれた門を潜り抜けると、レンバルトはまず来た道を戻り始めたのだった。 トルバス市外へとバイクを走らせて、フォロン一行が海へとついたのは昼前であった。ちなみに、なぜバイクだったのかといえば、単にフォロンが自動二輪の免許しか持っていなかったからであり、ペルセルテも自動二輪の免許を持っていたからであった。それはともかく、バイクを駐車場に止めると、フォロン達は真っ直ぐに海へと向かったのだった。浜辺に設置された簡易テントの前で一旦別れて、水着を着てからもう一度集合である。 そんなフォロン達がやってきた海は、夏真っ盛りということもありかなりの人で混雑していた。すでに、浜辺には何本ものパラソルが立てられており、はしゃぎ声が少し離れた場所にあるこの簡易テントにまで響いている。そんな光景を背にして、さっさと着替えを済ませてしまったフォロンはコーティカルテたちが出てくるのを待っていたのだった。日差しがジリジリと肌を焦がすのを感じながら、それでもフォロンはじっと待つことしかできない。そして、しばらくして何度目かの簡易テント入口が開くのにフォロンが目を向ければ、そこには見知った顔の、新鮮な光景が広がっていた。 「先輩、お待たせしましたっ!」 いつものツインテールは変わらないものの、その輝くような金髪は太陽の光に反射してペルセルテ自身を照らしているかのようである。そして、そんな彼女の雰囲気に合わせるような白色のビキニは、ペルセルテの持つ快活な雰囲気を一層高めるのに一役買っていた。 「すいません、お待たせして」 普段はストレートの銀髪をお団子でまとめてあげた姿は、大人っぽい雰囲気を持つプリネシカに妖艶さを付け加えたような印象である。さらに、ペルセルテと色違いの黒色のビキニは、プリネシカをぐっと大人の女性へと変貌させていた。そして…… 「ど、どうだ? フォロン?」 緩やかなウェーブがかった真紅の髪をポニーテールにして、それに合わせるようにした赤色のセパレートタイプの水着を着たコーティカルテがフォロンに尋ねてくる。その頬が若干朱に染まっているのは、暑さのせいではないだろう。そもそも、精霊にとって暑さ寒さの感覚はあってないようなものなのだから。 「うん、似合ってるよ。みんな」 最後の台詞が余計であることに気づかないまま、フォロンは素直に感想を述べる。こうした素直な表現ができることはフォロンの良い点ではあったが、逆にそれがフォロンは鈍感であるといわれる所以でもあった。事実、それを聞いたコーティカルテの表情はやや不満のそれへと変わっていた。 「えへへ、先輩に似合ってるって言われちゃった♪」 ペルセルテはといえば、フォロンにほめられたことが嬉しかったらしく、プリネシカの前でクルッと一回転してみせる。 「よかったね、ペルセ」 プリネシカは彼女らしく、辺りをチラチラと見ながら恥ずかしそうに俯き加減で姉の様子を見ていた。やはり、さっきから周囲の人の視線を集めていることに気づいているらしい。 「フォロン、行くぞ」 どうやら感情の整理をつけたらしいコーティカルテが、我先にとフォロンの腕を取って海へと歩き始める。そして、それを見たペルセルテが負けてたまるかという勢いで、コーティカルテとは逆の腕を取った。プリネシカは、そんな3人の後ろにピッタリ寄り添うようについてきている。 「こらぁ、お前はフォロンから離れろ!」 「いーやーでーすー、先輩はみんなのものなんですっ」 「あははは……」 着ているのが水着であるという違いはあれど、数年前とまったく変わらないやりとりがそこにはあった。フォロンがまだトルバス神曲学院に通っていた頃、この光景は毎朝のように繰り広げられたものであったのだ。ふいに、時間が戻ったかのような感覚を感じ、フォロンは足を止めそうになる。しかし、両腕を引っ張って進むコーティカルテとペルセルテが、後ろから優しく押してくれるかのようなプリネシカが、フォロンを前へと進ませていた。そのことに気づいて、フォロンは引っ張られるだけだった腕を、逆に引っ張るかのように歩く速度を少しだけあげた。そこに、言葉にできない感謝の気持ちを込めて。 ユフィンリーが仕事を一件片付けると、すでに時刻はお昼を少し過ぎていた。午後から、もう一件仕事の依頼があったのだが、それにはまだ時間の余裕がある。そのことを確認すると、ユフィンリーは昼食を取るために近くで食事ができる場所を探し始めた。 「しっかし、この辺は食事できる場所もないわけ?」 探し始めて数分、ユフィンリーは早くも愚痴をこぼす。しかし、彼女の愚痴も分からなくもない。実際、ユフィンリーがいる場所はいわゆる工業団地という場所であり、油と騒音と汚れた空気で満たされているような場所であったのだ。そんな場所をウロウロと彷徨っても、見かけるのはせいぜい自動販売機ぐらいであった。 「……が届かないってどういうことですかっ!」 当てもなく彷徨うことを諦め、場所を聞いたほうが早いと決めたユフィンリーは近くにあった会社に入ろうとして、その怒鳴り声を聞いたのだった。別に盗聴する気があったわけではないのだが、しかし、ユフィンリーは壁に耳を押し付け聞き耳を立てることにした。 「じゃあ、なんで船は着かないんですか!?」 その怒鳴り声は聞き耳を立てるまでもなく辺りに響いていたが、ユフィンリーは構わず話の続きを聞いた。それをまとめると、どうやら、この会社は船に積んである何かを待っているらしいのだが、それが着かなくて困っているようだった。 「……調査中って、昨日も同じことを言っていたじゃないですか!」 話を聞くうちに、ユフィンリーは段々とその話に興味を持ち始めていた。積荷が何であるにせよ、それが着かないというのはそれなりの事件である。しかし、ユフィンリーはここ数日、そういった事件の話を聞いた覚えがなかったのだ。それにもかかわらず、現在も調査中で、船が行方知れずというのは、ユフィンリーにとってみれば酷く不自然な話であったのだ。 「はぁ、はぁ……それでは失礼します」 ユフィンリーが考えを巡らすうちに、どうやら向こうの話も終わったらしく、受話器を置く音とともに盛大な溜息の声が聞こえてきた。それを確認して、ユフィンリーは当初の目的を果たすべく、その会社――工場内へと入っていった。すぐに中年の男性がユフィンリーの視界に入るが、向こうはまだこっちに気づいていない様子である。 「すいません、ちょっとよろしいでしょうか?」 「え? あぁ、すいません。なんでしょうか?」 ユフィンリーが声を掛けると、中年の男性も気づいたらしく丁寧な対応で応じてくれる。 「ちょっと聞きたいのですけど、この辺に食事ができる場所ってあります?」 「食事ですか? それでしたら、そこを出て大通りを南下すれば何軒か見つかるはずですよ」 さすがに、中年の男性はユフィンリーの前で落ち込む様子を見せなかった。笑顔でユフィンリーの質問に答えてくれる。 「そうですか、ありがとうございます。……ところで、ここは何をしているんですか?」 そこで、さりげなくユフィンリーは仕事の内容について尋ねてみる。 「あぁ、ここは製油所なんだよ」 「製油所……何か大変そうですね?」 本当は、どんな仕事なのか知っていたのだが、あえてユフィンリーは知らない風を装った。 「大変……か、まぁ、楽じゃないのは確かですよ」 そういって笑う中年の男性は、しかし、輝いているように見えた、おそらく仕事に生きがいを感じているのだろう。 「随分人が少ないみたいですが……今日はお休みですか?」 ズバリ尋ねると、中年の男性は肩をすくめて説明してくれた。 「ははっ、お嬢ちゃんには敵わないなぁ。ま、開店休業ってやつさ」 「どうして……?」 「いいかい? 製油所っても、肝心の油がなきゃ作業ができないのさ」 あと一押しだ。そうユフィンリーは感じた。 「油がない?」 「ん、あぁ。お嬢ちゃんに言ってもしょうがないけどさ。油を仕入れてくれる会社が、それをしてくれないのさ」 これでさっきの話と意味が繋がったとユフィンリーは納得した。 「すいませんいろいろ聞いちゃって……どうも、ありがとうございました」 ユフィンリーは礼をして、その場から立ち去る。そして、さてこの事をどうするべきかと素早く考え始めたのだった。 PR |
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