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【2024/05/07 02:24 】 |
神曲奏界ポリフォニカ クリムゾン・サマー
プロローグ


 彼女に喜んでほしい。それだけが願いだった。彼女が喜んでくれることなら、それこそいろいろなことをした。美味しいお店があると聞けば、彼女をそこへ連れて行った。綺麗な景色が見られると知れば、彼女と一緒に山も登った。音楽が聴きたいと言われれば、男にできる唯一のヴァイオリンの腕前を披露した。そして、彼女はいつも喜んで、そして微笑んでくれた。

 ヴルルルルル……と低くエンジンの音が響く。それは、静かに打ち寄せる波の音を一瞬だけ掻き消してしまう。辺りは、まだ夜の闇に包まれており、人影は見えない。昼間であれば、それなりの人で賑わう場所ではあったが、時間が時間なだけに、好き好んでこのような船着場にやってくる者はいなかった。そんな船着場に係留されていた一隻のボートの中から、男の声が聞こえてきた。
「セレン、出発するよ」
 転落防止用の柵に寄りかかるようにして海を眺めていた女性――セレンが振り返った。辺りは暗く、その表情さえ読み取ることはできない。けれど、セレンは男の方をしっかりと見つめて、そして微笑んでいた。
「えぇ」
 そうして、セレンは男の方へと歩を進める。暗闇の中段々と浮かび上がる輪郭に寄り添うように、セレンは自身の体を預けた。まるで、それが定位置かのような自然な動きで、男はセレンを受け止めた。と同時に、ブレーキを開放し、ボートを発進させる。小気味よい音を立てながら、ボートは波の中を進み始めた。
「ねぇ、エヴァンス?」
 包まれた暖かさを感じながら、セレンは傍らの男――エヴァンスに尋ねた。エヴァンスは闇を見つめながら答える。
「なんだい?」
 セレンは待ちきれないといった様子で、エヴァンスに向かって質問を投げつけた。
「今日は、どこに連れてってくれるの?」
 もっとも、この質問は今日に始まったことではなかった。セレンは、エヴァンスが彼女をどこかに連れて行くたびに、この質問を繰り返し、そしてエヴァンスも同じように答えていた。
「秘密。着いてからのお楽しみさ」
 その、いつものやり取りに、セレンは軽く唇を尖らして抗議する
「ちぇ、エヴァンスの意地悪」
 しかし、そう言うセレンの頬は上気して朱に染まっている。セレンは、そうして2人で出かけることを楽しみにしていた。

 まだ、夜の闇は深く、船着場から2人を乗せたボートはすぐに見えなくなってしまう。ただ、誰もいない船着場へと打ち寄せた波が、小さく波飛沫を上げていた。
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【2006/05/28 00:55 】 | 神曲奏界ポリフォニカ
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